宮浦健人とは?ベンチを温めた結果?ライバルは?フランスでの修行?被災経験?

スポーツの中で球技が好きでしたらバレーボールネーションズリーグは見逃せないですね。
男女それぞれの代表チームが毎年戦う、世界規模の国際大会ですが、世界の強豪が短期間に何試合も戦う近年は日本チームの活躍が著しいですね。
サッカー選手なら、ヨーロッパなどのクラブチームで鍛えられるのが当たりまえですが、バレーボールも、最近では海外のチームで活躍しています。

フランスのチームで活躍した宮浦健人選手のこれまでの歩みと哲学的な境地などをご紹介します。

宮浦健人とは?

宮浦健人は、熊本県荒尾市出身で両親と兄の影響を受けてバレーボールを始めました。

8歳の頃、両親と兄の影響を受けてバレーボールを始める。
2014年、椿西高等学校に進学しました。

2017年、第11回アジアユース選手権代表入りし、キャプテンとなりチームは優勝しました。
宮浦腱人はオポジットとして活躍しました。
このオポジットというのは、右側(ライト)からのスパイクで特典を狙い、前衛・後衛ともに攻撃に参加します。
相手のエースへのブロック担当をします。

2017年の第11回アジアユース選手権でオポジットの控え選手は、1歳年下で後に日本代表のエースとなる西田有志だったのです。

2017年に早稲田大学に進学し、同大学は全日本インカレ4連覇を果たしました。

2020年~2021年に愛知県のVリーグのプロチームジェイテクトSTINGSに内定が決まりました。
2021年2月、ジェイテクトSTINGSのベンチ入りをしてVリーグ戦のデビューを果たしましたが、同じベンチ入りメンバーに西田有志がいました。

2025年5月にジェイテクトを退団し、ウルフドックス名古屋に入団しました。
宮浦健人は世界最高峰のリーグを渡り歩き、日本代表のオポジットとして強烈な存在感を放つ存在です。

SVリーグを自らの成長を加速させる場所として、宮浦健人は再び日本のコートに立っています。

宮浦健人はベンチを温めた結果は?

宮浦健人は海外でダメな時の巻き返し方を身につけたといえます。

それが、海外で得た最大の武器がダメな時の自己修正能力でした。
世界各国の猛者と対峙する中で自己修正能力を手に入れました。
宮浦健人が手にした最大の武器と言えるでしょう。
宮浦健人の強さは日本代表やポーランドでの控え経験を力不足といえる点です。
環境や指揮官の采配を言い訳にせず、
制御可能なものにのみ全力を注ぐという姿勢を持ち続けていく強さです
いわば、宮浦健人のプロフェッショナリズムは、二枚替えなどの限定的な出番においても100%の結果を出すための究極の準備へと繋がっています。
学生時代の大エースというプライドを、彼は準備の質という形で表現します。
コートの外にいる時間さえも、彼は試合の一部として呼吸しているのです。

宮浦健人のライバルは西田有志

宮浦健人には、オポジションのライバル・西田有志の存在があります。
2017年のアジアユース選手権、主将としてMVPに輝いたのは宮浦健人でした。
その時、西田有志はその控えでした。
その後、西田有志は瞬く間にスターダムを駆け上がっていたのです。
宮浦健人は常にその背中を見つめてきたともいえます。

その事実を宮浦健人は、「西田選手、ガーン!って行ったんでずっと追いかけてきました」と振返ります。
かつての控えだった選手に先を越されるという現実は焦燥の種となります。

宮浦健人は冷静に、己を信じる力へと昇華させていきます。
彼が、期待や評価よりも、昨日の自分を超えているかを自問自答する姿勢こそが、彼の進化の土台となっているといえそうです。

宮浦健人、フランス修行

宮浦健人はポーランドとフランスでチャレンジをしてきました。

2022年~2023年のシーズンはポーランドのスタル・ニサに所属しました。
スタル・二サでは、後に世界屈指のクラブ・ペルージャへ移籍するワシム・ベンタラ選手とポジションを争いました。
宮浦健人はそこで、トップ選手のプロ意識を目の当たりにします。

ワシム・ベンタラは自分自身の不甲斐ないプレーを許せないと激しく憤り、練習後に取り憑かれたようにサーブを打ち込んでいました。
その刺激は、宮浦健人は情熱を呼び覚ましました。

出場機会が限られたポーランド時代、彼はベンチにいる不満をエネルギーに変換する方法を学びます。
早稲田大学時代の佐藤裕務コーチの下で築いた強固なフィジカルをベースに、リリーフサーバーとしての役割を全うすべくサーブを徹底的に研ぎ澄ませたのです。

その結果、2023年VNLイタリア戦での7本のサービスエースを決めました。
ベンチにいる時間を無駄にせず、技を磨き続けた結果です。

続く2023年フランスリーグAのパリ・バレーへ移籍しました。
フランスではスタメンとしてMVPを量産しました。
宮浦健人が手にしたのは、技術を超えた精神の境地でした。

「ダメな時にどうやって巻き返すか、どう戻すかというところの切り替えの部分はすごく成長できました」

ポーランドでは、ベンチ入りが多かったのですが、パリ・バレーでは主力のオポジットとして活躍しました。

パリでの生活では鶏胸肉とブロッコリーを毎日食べ続ける徹底した効率とストイシズムの哲学が息づいています。
彼が欧州の地で磨き上げ、日本に持ち帰ったのは、単なる技術ではありません。
それは、極限の状態でも自分を見失わない「心の統治術」でした。

宮浦健人、被災した経験?

宮浦健人は2016年熊本地震によって、被災をしたため避難所生活を余儀なくされました。

2023年に受けた取材ではこの時の避難所生活を一番つらかったと振返っています。
被災から一ヶ月間は学校生活が再開されませんでした。
再開後も体育館は使えないため、片道1時間以上かかる福岡県まで体育館に通っていました。

ここで宮浦健人の強さが発揮されます。
宮浦健人は弱音を吐かず、自主的に努力を重ねて練習量の不足をカバーしていたと鎮西高等学校のコーチが語っています。
高校生最後の春高バレーで一回戦で敗退となった時も、被災したことには触れず、自分の弱さに負けたと話していたそうです。

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