フランスの飲み物といえば、真っ先に思い浮かぶのはカフェオレ、ワインでしょうか。
1960年代から、ワインも含めたフランスの文化やパリの暮らしを日本に紹介した日本人がいます。
それが、玉村豊男さんです。
玉村豊男さんは、ご自身でブドウを栽培をして、醸造まで挑戦し、ワインのある暮らしを広める生き方が多くの日本人にあこがれを抱かせました。
玉村豊男さんがフランスへ行ったきっかけやワイン醸造を始めた理由などその歩みをご紹介します。
東京大学仏文科にいる間にパリ大学言語学研究所に2年間留学しました。
都立西高を経て、1971年東京大学仏文科を卒業、在学中にパリ大学言語学研究所に2年間留学をしました。
通訳、翻訳業をへて、文筆業へ進み1977年に『パリ 旅の雑学ノート』、1980年に『料理の四面体』を刊行してエッセイストとしての歩みが始まりました。
旅と都市、料理、食文化、田舎暮らし、ライフスタイル論など幅広い分野で執筆を続けました。1983年より8年間、軽井沢町で生活をしていたのですが、病を得たのを機に高校以来中断していた絵画制作を87年より再開し、1989年長野県上田市の「原画廊」で初個展。
1994年以後は毎年数回の個展および各地での巡回展を開催を続けました。
1991年より同東部町(現・東御市)に移住し、ハーブや西洋野菜を栽培する農園ヴィラデストを経営。
2003年に果実酒製造免許を取得し、「ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー」をオープンしました。
玉村豊男の妻は?
玉村豊男の妻は玉村抄恵子といいます。
二人は、1983年に東京から軽井沢町に移住し、8年間生活しました。
1986年、玉村豊男が輸血によって、慢性肝炎となって療養をきっかけに、今後の生き方を見つめ直し、1991年に同じく長野県東御市へ移住しました。
残りの人生を田園で農業をしながらのんびり暮らすことを決意、
東御市は千曲川や北アルプスを望む丘陵地でした。
玉村豊男は妻抄恵子は荒れていた土地を開墾し、西洋野菜やハーブ、ブドウなどを育てるための菜園を始めます。
玉村豊男は学生時代にフランス留学経験がありワイン好きだったため、翌年にメルローとシャルドネのブドウの苗500本を入手し、余っている畑に植えたのです。
当時大手酒造メーカーがこの地にワイナリー建設を計画しており、玉村豊男は近隣の農地をワインぶどう畑へ転換することなどをサポートしていました。
残念ながら、計画は中止となり、ワイナリーの準備を進めていた若いワイン醸造家が路頭に迷うことになりました。
玉村豊男は個人でこの地にワイナリーを設立することを決意します。
家族の猛反対もあったが1億円以上を借金し、建設費用約1億6000万円をかけてレストランを併設した「ヴィラデスト ガーデンファーム&ワイナリー」を2004年に開業しました。
玉村豊男が病を経て人生を見直した時に、彼のたてたプランを実行するためには玉村抄恵子の存在は欠かせなかったといえます。
玉村豊男の逝去に際し、玉村抄恵子が発信したメッセージの中にその人生を称える気持ちがにじみます。
字を書き、絵を描き、果ては自分で作ったワインを飲みたいとワイナリーまで造り、やりたいことは全てやるという、わがままな人生を歩むことができたのは、周りの方々に常に温かく支えていただきましたこと、本人並びに私からも、心より感謝申し上げます。楽しいこと、美味しいものを食べること、ワインを飲むこと、周りの方が楽しそうにしてることが大好きな人でした。たくさんの好きなことと共に駆け抜けた玉村の人生に、ご自宅などでワインで献杯していただけたら、彼も本望だと思います 攻略これまで、たくさんの温かいお気持ちをありがとうございました。令和 8 年 8 月 25 日
玉村豊男、ワインとの出会いは?
玉村豊男はフランスに留学生として渡り、フランスで文化史やお酒、料理等のエッセイを多く世に出しました。
初めての著書「パリ雑学ノート」は旅する人のためのガイドブックとは違ってエッフェル塔や凱旋門などの観光地には触れずに、パリ事情が詳しく書かれているため、ガイドブックに頼らない旅行者には参考になるといいます。
・カフェでパリジャンのように勘定を払うやり方は?
・トイレの少ないパリで、ただでおしっこをする方法は?
・なぜパリジャンは路上にゴミを捨てるのか?
・フランス人ぽい煙草の吸い方とは?
これは、人の営みに関心があり、暮らしているパリでみかけるフランス人を観察しているからのパリ事情ですね。
パリを40年以上訪れている玉村豊男は、パリの移り変わりをこのように表現されています。
「パリの場合は建物の外観が昔のままに保たれているので、東京で古い建物が壊されて新しいビルが建つ変化を見るような断絶は、少なくとも表面的には感じない。しかし、同じように見える風景の中でそれと気づかぬうちに世代交代は進行し、都市の細胞は確実に新陳代謝を繰り返しているのである。』
「エッセイストであり、画家であり、フランス文学者であり、農夫であり、ワイナリーのオーナー。
そして料理の腕前も、私など到底かなわないほどの達人で、知性と感性、そして土と食を愛する心。
フランスでの食卓にあるワインがどのように醸造され、その土地の特徴からワインの味も変化をする。
玉村豊男の好奇心、観察眼は食や旅、農業など、多くの分野に至る博学ぶりですが、大きな視点でその国の文化を学びとっていたからという気がします。
ワインとの出会いは、パリの暮らしを楽しんだからこそだといえますね。
玉村豊男、醸造家として
2008年、玉村豊男が経営するヴィラデストのワインが国産ワインコンクールの欧州系白ワイン品種部門で最優秀カテゴリー賞に選ばれました。
それは玉村豊男の著書が『フランス式一汁三菜』です。
和食の基本形式を借りながら、玉村豊男が示した「一汁」はワインだということでした。
そして、自らワインを醸造するワイナリーを運営することになりました。
ワイナリーのネームには「ヴィラデスト(Villa d’est)=住まいはここだ!」という意味が込められ本気の挑戦でした。
さらに、その愛弟子である醸造責任者の小西超氏と共に歩む道を選びました。
2004年: ワイナリーを開設。
2008年: 洞爺湖サミットのランチに「ヴィニュロンズリザーブ シャルドネ2005」が採用され、世界にその名を轟かせました。
同年、東御市を長野県初の「ワイン特区」へと導くことになりました。
2009年: 「ヴィニュロンズリザーブ シャルドネ2007」が国産ワインコンクールで金賞カテゴリー賞を受賞。
ヴィラデストのワインは高く評価されるようになり、玉村豊男のもとには「自分もワインぶどうを育てて小規模ワイナリーをやりたい」と希望する人たちが訪れるようになりました。
これは、次世代の「ヴィニョロン(ブドウ栽培醸造家)」を育てる仕組みを構築しました。
彼が耕したのは土地ではなく、日本のワイン文化の未来そのものであったともいえます。
玉村豊男の四面体とは
玉村豊男の代表作は1983年11月に出版された『料理の四面体』といわれています。
1980年から1990年代にかけて、玉村豊男の料理の四面体は文学的クッキングの中心となりました。
このほかに、檀一雄の「檀流クッキング」、池田満寿夫の「男の手料理」向田邦子のエッセイなどが人気となりました。
四面体の中に書かれている要素をご紹介します。
火(頂点): 全ての調理を司る根源的な熱エネルギー。
空気: 直火と素材の間に介在し、グリルやロースト、果ては干物までを規定する媒体。
水: 煮る、茹でる、蒸すといった、湿潤な熱伝導を支配する媒体。
油: 炒める、揚げるといった、高温かつ力強い変化をもたらす媒体。
例えば刺身は、素材を切り分けて調味料で和えるという「下ごしらえ」の極北、すなわち「刺身という名のサラダ」であると彼は喝破しました。
加熱の有無を問わず、全ての料理はこの四面体の中の一点として定義できる。玉村氏は同書でこう述べています。
「イッパツで料理の一般原理を発見し、それを知ったらあとは糸を紡ぐように引けば引くだけ次から次へと料理のレパートリーが無限に出てくる……」
その姿勢は『毎日が最後の晩餐』とおう著書にあるように、明日が来ないかもしれないという覚悟で最後の一食までを楽しみ抜くことです。
レシピからの解放を目指した「料理の四面体」、読んでみたくなりますね。
玉村豊男は、おしゃべりもとても面白く、軽妙洒脱な噺家のようでもあります。
玉村豊男現在は?
かねてより病気療養中だった玉村豊男は8月9日肝臓癌のため永眠いたしました。
享年 80 歳でした。
文筆活動、絵画を書き続け、講演会には引っ張りだこ、ワイナリーまで作る農的ライフスタイル、農園田舎暮らし、その生き方が多くの人の心に自分にとって大切なものは何かを発信し続けてくれました。

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