フランスの世界遺産のひとつをご紹介します。
おとぎ話に出てくるような川に浮かぶように建つ白くて青い屋根のお城、シュノンソー城です。
中に入るとたくさんの豪奢な部屋が残され、当時の暮らしがわかるところが魅力になりますね。
6人の女性が関わったシュノンソー城。
女性のセンスが造り上げた美しいお城は一見の価値あり
シュノンソー城、どこにある?
シュノンソー城は、ロワール川の支流シェール川に浮かぶように立つ白いお城です。
ロワールには優美な姿の古城が数多く点在していますが、その中でも人気があるのがシュノンソー城です。
なぜ人気があるのかと問われたら、シュノンソー城自体も美しいのですが、ロワール地方は「フランスの庭」と呼ばれているからです。
ロワール川は大西洋にまで到達しますが、広大な平野に森や川、丘などが広がる風光明媚な場所にあります。
ロワール川はフランスで最も大きな川です。
その源は、ジェルビエ・ドゥ・ジョン山(1551m)になり、ブルターニュ地方のナントで大西洋に注ぎます。
フランスに火山があるというのは知られていませんが、ジェルピエ・ドゥ・ジョン山は、フォノライトという火山岩でできていて、三角のおむすびのような形をしているそうです。
ロワール川の全長は1021㎞、その長さはセーヌ川の2倍と言われています。
ロワール川には、トゥール近辺でシェール川、アンドル川、ヴィエンヌ川が合流します。
多くの城がロワール川、または支流のたもとにあるそうです。
水が豊かに流れる田園に建つ城。
3つの支流が合流するトゥールの街は、パリのモンパルナス駅からTGⅤで約1時間30分で到着できます。
トゥールは、ロワール川とシェール川に挟まれています。
街はあまり大きくありませんが、ルイ11世の時代にフランスの首都だったそうで、15世紀の名残を残す場所です。
そういう背景があるために、シュノンソー城は何人もの人々の手に渡った歴史を持つお城なのです。
そして、シュノンソー城も美しい庭があり、この城に関わった女性の名前がつけられています。
シュノンソー城、6人の王妃?
シュノンソー城は、城が建てられた16世紀から19世紀に至るまで、城主が代々女性だったことから「6人の女の城」とも呼ばれる所以です。
小説よりも、興味深いドラマが実際に起きていた歴史があります。
16世紀に宮廷の財務長官トマ・ボイエと、その夫人カトリーヌ・プリソネが、マルク家の城塞と水車を取り壊して造ったたことが始まりです。
このカトリーヌ夫人が不在の夫に代わって城建築の指揮を執ったこともあり、第1の城主ともいえます。
6人の女性たちが関わった歴史の中で最も有名な女性が二人いました。
第2の城主は、当時のフランス王アンリ2世の愛妾であったディアーヌ・ド・ポワティエです。
一方、アンリ2世の正妻であったカトリーヌ・ド・メディシスが3人目の城主です。
残っている噂ですが、愛妾のディアーヌは、「60歳を過ぎても30代にしか見えなかった」というエピソードがあります。
今で言うところの「美魔女」でもあり、アンリ2世より20歳も年上でありながら、王の寵愛を一身に受けていたともいわれています。
正妻カトリーヌが、喉から手が出るほど欲しがっていたシュノンソー城を贈られたディーアヌ。
ディアーヌは美しさと知性に恵まれ、数々の事業に優れた能力を発揮し、その当時最も趣きがあり革新的と言われました、3人目の城主となるカトリーヌ・ド・メディシスは、フィレンツェの名門メディチ家の娘で、アンリ2世を一目見た瞬間から恋に落ち、それからずっと熱愛し続けたといいます。
彼女は、フランス王アンリ2世と結婚した際に、お菓子やアイスクリーム職人、料理人を伴ってお嫁入りしたといわれています。
当時手づかみで食事をしていたフランス宮廷に、カトラリーや食器類、食事のマナーを持ち込み、イタリアの食文化をフランスで開花させたのです。
彼女によってもたらされたとされるお菓子は、マカロンのみならず、アイスクリーム、フロランタン、フィナンシェなど数多くあります。10人の子を出産し、夫の死後は摂政として王権の維持を図るだけではなく、芸術を愛し、フランスの食文化を発展させた功績はとても大きいといえます。
JBpressオートグラフ サイト 抜粋
10人の子宝に恵まれたカトリーヌですが、夫の愛を得ることはできなかったのです。
アンリ2世は、ディアーヌを生涯にわたって愛し抜いたからです。
ちょっとつらすぎませんか
シュノンソー城の美しさの陰に二人の女性の喜びと悲しみがあると知って驚きます。
どんなに愛しても振り向いてもらうことができなかったカトリーヌ・ド・メディシスの心が切ないです。
フランス宮廷に、カトラリーや食器類、食事のマナーを持ち込み、イタリアの食文化をフランスで開花させたカトリーヌ。
今日のフランス文化の礎を築いたカトリーヌの功績がかすんでしまいます。
喉から手がでるほどシュノンソー城が欲しかったアンリ2世の正妻カトリーヌは、アンリ2世が亡くなると愛妾ディアーヌとの立場が逆転しました。
カトリーヌは、ディアーヌにシュノンソー城とショーモン城を交換させ、自ら3人目の城主の座についたのです。4人目の城主は、アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの子であるフランス王アンリ3世の妃ルイーズ・ド・ロレーヌです。
ロレーヌは、夫が暗殺されてから、シュノンソー城に引きこもったそうです。
黒の喪服ではなく、白いドレスを身にまとっていたといいます。5代目城主は、王族ではない女性ルイーズ・デュパン。
彼女はフランス革命時に、お城の礼拝堂を貯蔵庫として使って宗教性を隠したことによってお城を守ったと言われています。JBpressオートグラフ サイト 抜粋
カトリーヌは夫の死後に、ようやくシュノンソー城を手にすることになりました。
城があったから、政治の世界で活躍をしたともいえるかもしれません。
現在、残されているシュノンソー城の内部にもカトリーヌのアイデアがいきています。
フィレンツェの名門メディチ家の娘として、最高の教育を受けていたはずです。
その証がシュノンソー城の内部にも生きていると感じます。
シュノンソー城、内部の特徴?
最初に建設されたお城は、城と水車だけでした。
アンリ2世の代になり、愛妾のディアーヌ・ド・ポワティエはお城と川沿いの眺めを非常に愛しました。
ディアーヌはアーチ形の橋を建設し、お城を向こう岸と結びました。
さらに、庭園には花や野菜、果樹なども植えさせました。
川の氾濫に備えて、石のテラスで補強もさせました。
城の内部で「橋上宮殿」ともいわれる全長60mのギャラリーが象徴的な特徴です。
この美しいギャラリーは、先述の因縁の2人の城主によって生み出されました。
3人目の城主カトリーヌ・ド・メディシスが石橋の上にルネッサンス様式の回廊を建設し、現在の姿となりました。このギャラリーの大きな窓からは、シェール川の風雅な流れを眺めることができます。
カトリーヌは、人魚の装いをさせた女たちをこの川に泳がせ、ギャラリーをわたる客人の目を楽しませたというエピソードも残っています。
床には白と黒のタイルが敷かれ、華麗な舞踏会が催されました。「マルクの塔」はシュノンソー城の建設前からあったマルク家の塔を、1人目の女性城主とされるカトリーヌ・プリソネとその夫が、ルネッサンス様式に造り替えたものです。
この塔側にカトリーヌ・ド・メディシス庭園、その反対側にディアーヌ・ド・ポワチエ庭園と、2人の城主の名を冠した2つのフランス式庭園が、競うように対峙しています。
円形の池と5つの芝生の庭からなるカトリーヌ庭園も、造園当時の噴水が再現されたディアーヌ庭園も、どちらも美しい。JBpressオートグラフ サイト 抜粋
シュノンソー城で圧巻な場所がギャラリーです。
白と黒のタイルが敷かれ、60m先のはるか遠くまで続くギャラリーで舞踏会が開かれたのもうなづけます。
今でも、モード界のファッションショーが開催されることもあります。
見せる側も見る側も、その空間にいるだけで魅了されるほど、美しい空間です。
カトリーヌ・ド・メディシスはディアーヌの橋の上にこのギャラリーを建設しました。
当時、このボールルームでカトリーヌの息子アンリ3世を記念する祝宴が開かれました。
白と黒で構成する、現代にも通じるセンスの良さを感じます。
フランス革命では破壊から守られたこの場所は、第一次世界大戦時には城のすべてが病棟として利用されたのです。
シュノンソー城、緑の書斎?
シュノンソー城の内部では、ほかにも素晴らしい部屋はたくさんあります。
例えば、台所も現代に通用するパン焼き釜があったり、ダイニングルームがあったり、食料棚もあります。
夫の亡きあとに、カトリーヌ・ド・メディシスは王国の摂政となりました。
息子のアンリ3世は、父の後を引き継いだのはわずか15歳でしたので、カトリーヌは緑の書斎といわれる部屋からフランスを支配しました。
緑の書斎の天井は16世紀のオリジナルの状態で残っており、絡み合ったⅭを観ることができます。
「馬の鈴草様式」と呼ばれる16世紀のブリュッセルのタペストリーは、ゴシックとルネッサンスの両方の様式を取り入れた作品となっています。
当時の緑色が青色に変色したその色合いと、アメリカ大陸発見のテーマが独特なタペストリーです。
ペルーの銀色の雉、パイナップル、蘭、柘榴など、1492年までヨーロッパで知られていなかった動物や植物が題材となっています。
ドアの傍らには、16世紀のイタリア製キャビネットがあります。カトリーヌ王妃が図書室として使用した小さな部屋からは、シェール川とディアーヌの庭が見渡せます。
シュノンソー城見学 日本語版パンフレットより抜粋
ギャラリーの大きな窓からは、シェール川の風雅な流れを眺めるのが好きだったカトリーヌ。
ライバルのディアーヌが向こう岸までつなげた橋の上にギャラリーを作りました。
いろいろな意味でギャラリーへの思い入れがあったことでしょう。
緑の隣にある図書室であったこの部屋に、カトリーヌ・ド・メディシスの仕事机がありました。
ここからシェール川、中州、ディアーヌの庭園のすばらしい眺めが望めます。
それは、今この城を収め、フランスという国を治めている自分への自負心があったのではなないかと思います。
さまざまな困難を乗り越えたからこそのカトリーヌを想像してしまいます。
経営者は孤独と言われますが、カトリーヌ・ド・メディシスも同じだったのではと思います。
だから、大好きな場所、大好きな家具や装飾に囲まれる必要があったのでしょう。
女性のセンスが造り上げた美しいお城は一見の価値あり
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