オルレアン少女、どんな街?百年戦争?有名な少女とは?

映画「レオン」のリュック・ベッソン監督による映画作品が、フランスの国民的英雄として知られる女性を作品としているのをご存知ですか。
その作品は「ジャンヌ・ダルク」といい、舞台がフランスのオルレアンです。
現在のようにフランスが共和国になる前は、フランスの100年戦争と言われた時代があり、フランス王国もオルレアンも常に権力争いが繰り返される時期だったのです。
オルレアン少女についてご紹介します。

権力争いに翻弄され潰されたオルレアンの少女ジャンヌ・ダルク

 

オルレアン少女、どんな街?

フランスで最も長いロワール川は中央山塊に水源をもち、オルレアンまで北上し、サン・ナゼールで大西洋に注ぐ全長1000kmの川。

ロワールの自然とともに生き、ロワールとともに繁栄したオルレアン。
フランスの地図をみると、ちょうど真ん中あたりで、ロワール川の真ん中です。
距離にすると、パリにも非常に近いことがわかります。

1692年、オルレアン運河が開通してロワール川とセーヌ川が結ばれると、オルレアン港からパリへのアクセスがスムーズになり、オルレアン港の重要性が増しました。
ワイン、絹、スレート、魚類、南仏のオリーブオイル、中央山塊の鉄のほか、全国からさまざまな物資が運ばれてきたオルレアンは、パリに近いことから 「王国の貯蔵庫」と呼ばれるようになっていきました。
さらに、植民地から砂糖がもたらされるようになるとオルレアンには精糖工場が多く造られ、付随する樽、陶器、包装紙などの製造業も盛んになりました。

18世紀、繁栄を背景にナント、トゥール、アンボワーズなどロワール川沿いの都市ではインフラの近代化が進められます。
オルレアンでも町の要塞の一部を壊し、現在の立派なジョルジュ・サンク橋が造られた。その橋から、町の中心マルトロワ広場へと伸びるRue Royaleの道幅が広げられ、ルクーヴランス波止場が整備されると、陸路も水路もさらに便がよくなった。

【特集】オルレアン:ロワール川と生きる町。 - OVNI| オヴニー・パリの新聞
オルレアンに引っ越した知り合いが、「いい街だから、遊びに来たら」と声をかけてくれた。パリから南西に130km。電車で1時間とすこし。オルレアンの駅から商店が並ぶ大通りをまっすぐ歩き、マルトロワ広場でこの町の英雄ジャンヌ・ダルクの騎馬像を拝ん...

1843年、パリ=オルレアン間の鉄道が開通したのを機に水路は使われなくなっていきます。
パリの港だったオルレアンはその座をセーヌ川の河川港ルーアンに奪われ、港はすたれます。

全長1000kmのロワール川のうち、オルレアン近くのシュリー・シュル・ロワールからシャロンヌまで280kmのエリアはユネスコの世界文化遺産 〈文化的景観〉として登録されました。
2000年に渡り、川の氾濫を防ぎ、航行を可能にし、流域ではワイン醸造や農業を行ってきました。

日本でも江戸時代は運河が栄え、運搬も行われてきました。
鉄道の発達は、水路にとって代わりさらに私たちの暮らしを豊かにしてくれています。

 

オルレアン少女、百年戦争?

イギリスとフランス、この両国の植民地抗争は、ヨーロッパでの大戦争とも連動しており、百年戦争を戦います。
ところが、「百年戦争」といえば、一度きりではなく、中世に英仏両国が争っている(1337~1453)のです。
それに続く二度目の戦争ということで、「第2次英仏百年戦争」(1689~1815)とも呼ばれます。
そして、フランス王国は極度に悲惨な状態に陥りました。

この戦いの渦中にあった、当時のフランス王国のシャルル六世を取り巻く家族も敵味方に分かれる状態でした。
フランス王国シャルル六世の領土は、パリ周辺の小さな部分と東部のシャンパーニュ地方と南フランスに至る細長い部分しかなかったのです。

シャルル六世の妻は、ドイツ・バイエルン出身のイザボー・ド・バヴィエール(ドイツ名はエリザベート・フォン・バイエルン)。
ヴィッテルスバッハ家のバイエルン公シュテファン3世の長女。
曾祖父は神聖ローマ皇帝ルートヴィッヒ4世。
シャルル六世にはルイ・ドルレアンという弟がおり、実家はオルレアン家です。

シャルル六世の叔父はブルゴーニュ家のブルゴーニュ公フィリップです。
そう、オルレアン少女のオルレアンです。

そして、シャルル六世とイザボー・ド・バヴィエールとの間に生まれた息子が王太子シャルルでした。

実は、シャルル六世は狂人だったと言われ、時に正気に戻りますが、一国の元首となる能力はなかったと言われています。
そのため、妻のイザボーが摂政となりますが、彼女はシャルル六世の弟と恋に落ちていきました。

こうした背景がフランスを二分していったのです。
国王の叔父のブルゴーニュ公フィリップのブルゴーニュ家。
そして、イザボーと恋愛関係にあった国王の弟ルイ・ドルレアンでオルレアン家です。

両家は激しい戦いを繰り返し、1407年にオルレアン家のルイ・ドルレアンが殺されます。
ブルゴーニュ家のブルゴーニュ公フィリップの息子によって。

王太子シャルルが次の国王になるかと言えば、母親のイザボーが「わたしが生んだシャルルは国王との間に生まれた子ではない」として、王太子シャルルの廃嫡宣言をしてしまったのです。
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オルレアン少女が出現する頃、元々、気弱な王太子シャルルは失意の底に陥っていきました。
このころから、ブルゴーニュ家とオルレアン家を中心とするアルマニャック派が争うようになりました。
それ以外にも、イザボーとイギリス側がくっつく事態となりました。

それぞれが勢力争いに明け暮れる中で、失意の王太子シャルルを助けるために手を差し伸べた少女が表れたのです。
オルレアン少女の出現でした。

シャルル六世の妻は名門の出である王妃、若さとプライドゆえに王の弟と恋愛に陥ったり、弱いために誰かの力が必要だったのでしょう。
その母から冷たい扱いを受けた王太子シャルル。

でも、嫡男ではないと言われた王太子の気持ちを考えると、傷ついたであろうと想像はできますね。
今のフランスから考えると力がなくて、常にイギリスとも対立をしていたなんて思えません。

オルレアン少女、有名少女とは?

ロワール渓谷はフランス国内では最も広域にわたる世界遺産で、「フランスの庭」として知られています。
この中の古城があり、その敷地は王家の住いとして使用されていました。
オルレアンなどロワール渓谷の主要な町も少なくともローマ時代までさかのぼるルーツを持ち、川沿いの要衝となる位置を占めています。

オルレアンはまた1429年にジャンヌ・ダルク=オルレアン少女の出現によって解放されました。
オルレアン少女ジャンヌ・ダルクは、たった17歳でしたが、フランスをイングランドからの解放に導き、イングランドを相手に戦った百年戦争でフランスの命運を変えました。

ですから、オルレアンにとっての有名な少女と言えば、ジャンヌ・ダルクの出現でしょう。
ジャンヌ・ダルクはロレーヌの片田舎ドムレミで生まれました。

1429年の冬の終わりにブルターニュの田舎貴族たちは、ロワール添いのシノン城において、イギリス軍に敗北した王太子を擁護していました。
母親の裏切りにあい、シャルル六世の息子ではないと告げられて確信をもって自分こそ王の後継者であると宣言できずにいた王太子シャルル。

その城に一人の見知らぬ少女が訪れたのを知りました。
ロレーヌの片田舎で生まれた17歳の女性が「自分はフランス王国を救うために天上の王から使わされたというのです。
「天使ミカエル、諸聖女たちを通じて神のお告げがあった」
オルレアン少女ジャンヌ・ダルクはオルレアンを開放し、ランスめがけて進撃しました。
なぜなら、王太子シャルルの戴冠をさせたかったからです。

しかし、のちにオルレアン少女 ジャンヌ・ダルクはブルゴーニュ軍にとらえられたのです。
その理由は、神の教えは教会を通じて信者に伝えるもので、信者が神から直接教えを受けることは許されないというのです。
オルレアン少女 ジャンヌ・ダルクは最初から教会に反していたというものでした。

こうして、オルレアン少女 ジャンヌ・ダルクは北フランスでイギリス側に引き渡されたのです。
裁判は、パリではなくルーアンだった理由はルーアンならイギリスに有利に裁判を進行させることができるから。
イギリス側はジャンヌを異端者として魔女として裁判させたのです。

聖女ジャンヌと悪魔ジル ミシャエル・トゥルニエ 榊原晃三訳 白水Uブックスより抜粋

勢力争いに勝ったり負けたり、ここには記していませんが、自分たちが有利になるためには争いをやめない歴史がずっと長く続いたフランス。
百年戦争が2回もあったおちう歴史には驚きます。

最初に書いたように、リュック・ベンソン監督の映画では、オルレアンの解放が描かれています。
旅行でオルレアンを訪ねた時に、サント・クロワ大聖堂に行きました。
この教会は、ジャンヌ・ダルクの戦いを表現したステンドグラスが有名です。
オルレアン少女の活躍を描いたステンドグラスです。

しかし、現実ではオルレアン少女 ジャンヌ・ダルクは異端者扱いを受けて、イギリス軍に捕らえられて、裁判にかけられてしまいます。
純粋な気持ちで王太子を救うために行動をしたのに、最後は権力争いによってその命を奪われることになりました。

権力争いに翻弄され潰されたオルレアンの少女ジャンヌ・ダルク

オルレアンの人々はオルレアン少女であるジャンヌ・ダルクの勇気と行動力を称えたから、街の中にたくさんの想い出が残されてもいるのです。

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