ナタリー・ドロン若い頃、ナタリー・ドロンとは、現在は?、アラン・ドロン

フランス出身の俳優はたくさんいます。
その中には個性的な女性もたくさんいます。
かつて、世界一の美女のひとりと呼ばれた女優がいました。
金髪にブルーアイズを持つナタリー・ドロンさん。
今回は、彼女についてご紹介します。

 

ナタリー・ドロン若い頃

フランスの俳優ナタリー・ドロンの若い頃はモデルとして活躍しました。

ナタリー・ドロンが出演した映画作品は以下の読織です。
サムライ、個人教授、青ひげ、もう一度愛して、華麗な関係、姉妹。スウィート・ライズなどがあります。

代表作は1968年に出演した個人授業とされています。
実は、ナタリー・ドロンは1964年にアラン・ドロンと結婚してアメリカに住んでいました。
1968年には、ナタリー・ドロンとアラン・ドロンは別居をしていました。

個人授業のシナリオは、クロード・ブリュレ、アネット・ワドマン、ミシェル・ボワロンの三人の共同になるそうです。
監督は、「お嬢さん、お手やわらかに!」のミシェル・ボワロンが担当しました。
撮影はジャン・マルク・リペール。
音楽は「白い恋人たち」のフランシス・レイが担当しました。
出演は「サムライ」のナタリー・ドロン、新人ルノー・ベルレー、ロベール・オッセンなど。

個人授業のあらすじは、18歳の高校生オリヴィエはスキー場で年上の美しい女性と知りあい夢中になるが、彼女はレーサーのフォンタナを愛していた……。
年上の女性との恋をみずみずしいタッチで描くベルレーのデビュー作。

今、観てても魅力を感じる作品です。
ファッションも現代と比べてもそん色なくおしゃれが新鮮に感じるといいます。
中でも、ナタリー・ドロンは中性っぽい雰囲気です。
ミニスカートにブーツをはくスタイルは当時のフランス映画の魅力を感じるそうです。

年上女性への憧れを抱くことはあると思います。
ナタリー・ドロンの魅力が発揮された映画と言えます。

アメリカの映画作品を多く観ていたら、フランス映画のファッションは大いに魅力的に映ったことと思います。

ナタリー・ドロンとは

ナタリー・ドロンの本名はフランシーヌ・カノヴァ。
イタリア系のフランス人で、1941年8月1日、フランシーヌ・カノヴァスとして、フランス領時代のモロッコ、ウジダに生まれました。

幼少期は、度重なる母親の離婚の影響を受けた少女時代を送りました。
10代後半から、モデルとして活躍しました。

派遣部隊に徴兵されていた経歴を持つ最初の夫、保険代理業のギ・バルテレミーと結婚しました。
カサブランカにもどり、一女をもうけたのですがほどなく別居しました。

別居後にモデル時代の名前でモデル兼カメラマンとして活躍しました。
1963年に離婚し、娘の親権は夫バルテルミーが持ちました。

同じ1963年、映画の撮影中にアラン・ドロンと出会い恋に落ちたのです。
アラン・ドロンもナタリー・ドロンも子供時代に不遇の境遇を送り、似た環境で育っていたことも距離を縮めたようです。

アラン・ドロンとの離婚後、ナタリー・ドロンは積極的に映画に出演したのです。
1983年に短編映画に出演した後は、女優業から遠ざかっていました。
2008年、女優復帰を果たし、ブーリン家の姉妹という作品に出演しました。

また、アラン・ドロンとの間に儲けた息子アントニー・ドロンは俳優となりました。

現在は?

2021年1月21日木曜日、ナタリー・ドロンはすい臓がんのため79歳で死去。
今から5年前のことです。

ナタリー・ドロンとアラン・ドロンとの間に生まれた俳優のアントニーが発表しました。
「母はけさ11時、家族と友人にみとられパリで亡くなった」と説明しました。

アラン・ドロン、夫

ナタリー・ドロンとアラン・ドロンとの出会いは、彼女が21歳の時でした。

ナタリー・ドロンはパリのナイトクラブで、人気急上昇中の俳優アラン・ドロンと出会いました。
アラン・ドロンは、当時の映画界の新星ロミー・シュナイダーという婚約者がいたのです。
彼は、ブルーアイズのナタリーに魅了されてしまいました。

アラン・ドロンにはロミー・シュナイダーという婚約者がいたにも関わらず、ナタリー・ドロンとの関係が続き、やがてアラン・ドロンはロミー・シュナイダーと別れることになりました。
アラン・ドロンとロミー・シュナイダーとの婚約生活が終わったのです。

1964年、アラン・ドロンとナタリー・ドロンは身近な人だけを招いて、結婚式をあげました。
アラン・ドロンとナタリー・ドロンは即座にフランス号に乗船し、ハネムーンへと出かけてしまいました。
ロサンゼルスに移り住んだ二人の間に息子のアントニーが誕生しました。

その結婚も長続きはしませんでした。
1968年にアラン・ドロンとナタリー・ドロンは別居したのです。
理由は仕事を続けたいナタリー・ドロンと仕事を続けることに反対するアラン・ドロンとの間にギャップがあったと思われます。
翌年の1969年に二人は正式に離婚しました。

正式に結婚したナタリー・ドロンですが、婚約を解消したはずのロミー・シュナイダーの影が二人の間に暗雲を投げかけていました。

時々、アラン・ドロンのまなざしに悲しみがよぎることがあったとナタリー・ドロンが告白しています。
やがて、ロサンゼルスのハリウッドにある二人の家に暗雲が立ち込めるようになっていきました。それは、撮影現場にまで影を落としたのです。

サムライの撮影現場での二人の空気が最悪だったそうです。
1968年5月、労働組合CGTに対抗して、アランが俳優組合を立ち上げました。
その時には、ナタリーの気持ちは限界まで来ていたのです。
1969年、二人は離婚を選びました。

別れた時は、息子と家政婦だけを連れて家をでたのです。
一方、アラン・ドロンの方は、ミレイユ・ダルクと人生をやり直しています。

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