フランス出身の俳優はたくさんいます。
その中には個性的な女性もたくさんいます。
かつて、世界一の美女のひとりと呼ばれた女優がいました。
金髪にブルーアイズを持つナタリー・ドロンさん。
今回は、彼女についてご紹介します。
ナタリー・ドロン
ナタリー・ドロンの本名はフランシーヌ・カノヴァ。
イタリア系のフランス人で、1941年8月1日、フランシーヌ・カノヴァスとして、フランス領時代のモロッコ、ウジダに生まれました。
幼少期は、度重なる母親の離婚の影響を受けた少女時代を送りました。
10代後半から、モデルとして活躍しました。
派遣部隊に徴兵されていた経歴を持つ最初の夫、保険代理業のギ・バルテレミーと結婚しました。
カサブランカにもどり、一女をもうけたのですがほどなく別居しました。
別居後にモデル時代の名前でモデル兼カメラマンとして活躍しました。
1963年に離婚し、娘の親権は夫バルテルミーが持ちました。
同じ1963年、映画の撮影中にアラン・ドロンと出会い恋に落ちたのです。
アランもナタリーも子供時代に不遇の境遇を送り、似た環境で育っていたことも距離を縮めたようです。
一方のアラン・ドロンはロミー・シュナイダーと婚約生活を終わらせていました。
1964年、アラン・ドロンとナタリーは再婚し、一男をもうけました。
1968年にアラン・ドロンと別居したのですが、その理由は仕事を続けたいナタリー・ドロンと継続に反対するアランとの齟齬があったと思われます。
翌年の1969年に二人は正式に離婚しました。
離婚後、ナタリー・ドロンは積極的に映画に出演したのです。
1983年に短編映画に出演した後は、女優業から遠ざかっていました。
2008年、女優復帰を果たしました。
また、アラン・ドロンとの間に儲けた息子アントニー・ドロンは俳優となりました。
ナタリー・ドロン、夫
ナタリー・ドロンと夫の出会いは、彼女が21歳の時でした。
パリのナイトクラブで、人気急上昇中の俳優、アラン・ドロンと出会ったのです。
アラン・ドロンは、当時の映画界の新星ロミー・シュナイダーという婚約者がいたのです。
彼は、ブルーアイズのナタリーに魅了されてしまいました。
その関係は続き、やがてアラン・ドロンはロミー・シュナイダーと別れることになりました。
1964年、身近な人だけを招き、結婚式をあげたのです。
ナタリー・ドロンとなった二人は、即座にフランス号に乗船し、ハネムーンへと出かけてしまいました。
ロサンゼルスに移り住んだ二人の間に息子のアントニーが誕生しました。
正式に結婚したナタリー・ドロンですが、婚約を解消したはずのロミー・シュナイダーの影が二人の間に暗雲を投げかけていました。
時々、アラン・ドロンのまなざしに悲しみがよぎることがあったとナタリー・ドロンが告白しています。
やがて、ロサンゼルスのハリウッドにある二人の家に暗雲が立ち込めるようになっていきました。それは、撮影現場にまで影を落としたのです。
サムライの撮影現場での二人の空気が最悪だったそうです。
1968年5月、労働組合CGTに対抗して、アランが俳優組合を立ち上げました。
その時には、ナタリーの気持ちは限界まで来ていたのです。
1969年、二人は離婚を選びました。
別れた時は、息子と家政婦だけを連れて家をでたのです。
一方、アラン・ドロンの方は、ミレイユ・ダルクと人生をやり直しています。
ナタリー・ドロン、代表作
ナタリー・ドロンが出演した映画作品
サムライ、個人教授、青ひげ、もう一度愛して、華麗な関係、姉妹。スウィート・ライズなどがあります。
代表作は個人授業とされています。
あらすじは、18歳の高校生オリヴィエはスキー場で年上の美しい女性と知りあい夢中になるが、彼女はレーサーのフォンタナを愛していた……。
年上の女性との恋をみずみずしいタッチで描くベルレーのデビュー作。
今、観たとしても魅力を感じる作品です。
ファッションも現代と比べてもそん色なくおしゃれが新鮮に感じるといいます。
中でも、ナタリー・ドロンは中性っぽい雰囲気です。
ミニスカートにブーツをはくスタイルは当時のフランス映画の魅力を感じるそうです。
年上女性への憧れを抱くことはあると思います。
ナタリー・ドロンの魅力が発揮された映画と言えます。
ナタリー・ドロン現在
2021年1月21日木曜日、ナタリー・ドロンはすい臓がんのため79歳で死去。
ナタリー・ドロンとアラン・ドロンとの間に生まれた俳優のアントニーが発表しました。
「母はけさ11時、家族と友人にみとられパリで亡くなった」と説明しました。

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