ポンパドール夫人 ベルばら?功績の持ち主?スタンス?どんな人?

ポンパドールという名前を聞いて思い浮かべることがありますか。
パン屋さんを思いうかべたり、べるバラを想定する場合もあるでしょう。
歴史上を振り返ると、フランスのルイ15世のお妾さんです。
ルイ15世はルイ16世(マリー・アントワネットと結婚)の祖父に当たりますが、たくさんのお妾さんがいたことでも知られています。
その一人が、ポンパドール夫人でした。
残された絵画をみると、とても気品のある美しい女性です。

ですが、なかなかのやり手女性でもあります。

この時代のキャリアウーマン、というよりも起業家ともいえます。
その手腕をお届けします。

ポンパドール夫人 ベルばら?

ポンパドール夫人は、ベルサイユのばらに登場したのでしょうか。
ということで、ベルサイユのばら、そして当時の歴史を振り返ってみます。

『ベルばら』の愛称で知られる漫画『ベルサイユのばら』。
1972年に連載がスタートするや空前の人気を博し、連載終了後には宝塚歌劇の演目となって『ベルばら』ブームを巻き起こしました。
連載開始から50年以上経った今も、不朽の名作として、日本だけでなく世界中で愛されています。

物語をみていきましょう。
『ベルサイユのばら』は、女の子として生まれながら、代々フランス王室に使えてきた家業を継ぐために、男子として育てられたオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェが主人公。

オスカルは容姿端麗で、知性と気品、男と対等に渡り合える強さも持ち合わせています。

父は軍人としての教育を施し、オスカルはフランスに嫁いできた14歳のマリー・アントワネットの護衛として使えることになりました。

オスカルとマリー・アントワネットの二人は年が同じこともあり、フランス革命前の華々しい宮廷での青春時代をともに過ごすことになります。

物語の中心はオスカルとマリー・アントワネットの二人で、オスカルの生涯を、フランス革命の起こりと激化までの歴史を背景に描く作品です。

実際に起こっているフランス革命の様子を描いており、実在の人物・モデルとなった人物も多く登場します。

ポンパドール夫人はマリー・アントワネットの夫ルイ16世の祖父であるルイ15世に見初められているので、生きた時間は少し早いようです。

実際の歴史では、ポンパドール夫人はマリー・アントワネットの結婚に関わる役割があったようです。
だから、まったく無関係ではありませんでした。

マリー・アントワネットのお母さんはハンガリーおよびボヘミア王妃、ドイツ女帝、オーストリア大公でした。
この時代に権力を持って16人もの子供をもったスーパーエクサレント母さんです。

オーストリアとフランスは20年以上も敵国でしたが、スーパーエクサレント母さんは宿敵プロイセンをけん制するための策に出ました。
政略結婚を企て、こうした背景の中で、マリー・アントワネットはルイ16世に嫁ぐことが決まったのです。

政略のために、フランスの外交官を介して、ポンパドール夫人へルイ15世あての手紙を渡すように託したのです。

日本の歴史を振り返っても、大名家に生まれた女性たちは政略結婚のために幼い頃に婚姻が決められたことも多かったです。
フランスでも、オーストリアでも大いにあったということですね。

ということで、ポンパドール夫人はそれほどベルばらには登場していないということになりますね。

 

ポンパドール夫人 功績の持ち主?

ポンパドール夫人の功績に、「セーブル磁器」があります。
が、その前にポンパドール夫人の生い立ちとルイ15世の出会いを振返ります。

美貌のジャンヌ・アントワネット・ポワソンは1721年生まれ。
修道院に入ったものの、富豪の金融課の養女となり、宮廷に必要な演劇、オペラ、文学、美術などの教育を受けました。

彼女の秀でた知性と趣味の良さは、文化芸術の庇護者となっていきます。
養父の甥と19歳で結婚、2児を授かりますが、悲しいことに命は儚かったそうです。
ルイ15世の狩りの居城近くに別荘があった夫人には、王の目に留まるために作戦を企てたといいます。
四輪馬車に、王の色である濃い青色とローズ色の幌を付け、ドレスの色も合わせて、王に偶然出くわすというもの。
王はすぐにポンパドール夫人の虜になります。
ポンパドール夫人は、貴族と形だけの婚姻を済ませヴェルサイユ宮殿に入ることを許されたのは、23歳の1月だったそうです。年内には領地を与えられ、「侯爵夫人」の称号を得て、約20年間公妾として君臨しました。

戦略を企て、その戦略にまんまとはまったルイ15世。
ただ美貌があっただけではなく、芸術家のサポートをしてくれた功績も大きいですよね。

それでは、ひとつ目の功績をみていきましょう。
ポンパドール夫人は、愛陶家でした。
ポンパドール夫人の提案で、王室御用達のヴァンセンヌ窯がヴェルサイユ近くのセーブルに移され、莫大な国費で王立セーブル磁器製作所が完成したのです。
化学者エロ―、画家のクールエらは、ポンパドール夫人の好みであるくすみがかった美しいローズ色「ポンパドールピンク」や、多くの新たな釉薬の配合に励みましたが、当人以外の使用は不可でした。
「ポンパドールピンク」のレシピは、化学者エローの死とともに闇に葬られてしまったのです。
ポンパドール夫人の死後には、硬質磁器に必要なカオリン鉱床が発見され、1760年、フランス悲願のセーブル硬質磁器が完成しました。
マルコポーロ以来、ヨーロッパ貴族が憧れた東洋磁器に並ぶ芸術となりました。

ポンパドール夫人とルイ15世がプロモートするセルヴィス(食器セット)やポプリ壺は、エカテリーナ女帝を筆頭に多くの王侯貴族を魅了しました。
ポンパドール夫人は、王族と貴族階級では白地と地色のバランスを変える自然の花の優美さを強調するなど斬新なアイデアを考案し、現代でも好まれている小さなローズを散らばせる図案もそのひとつでした。

ポンパドールピンクのレシピは残っていないのは残念ですが、食器セットやポプリ壺が王侯貴族を魅了したという点は、すばらしい功績だと思います。
マーケティングにも精通していたなんて、すごいですね。
芸術教育を学んだことがよかったんですね。

 

ポンパドール夫人  スタンス

ポンパドール夫人へのスタンスという楽譜があります。
ポンパドール夫人へ贈られた曲です。

それを作曲したのが、デオダ・ド・セヴラック
1872年生まれののフランスの作曲家で、郷里ラングドックの伝統音楽に深く根付いた作品を創作し、クロード・ドビュッシーから「良い香りのする音楽」「土の薫りのする素敵な音楽」と好意的に評されました。

セヴラックの音楽はあまりにも心地よくて温かいといいます。
そんな一曲が、「ポンパドール夫人へのスタンス」。

ポンパドール夫人はルイ15世の公妾として、文化芸術の庇護と、政治の世界でも活躍した女性です。
公妾とは、愛人を持てなかったフランス王室独特の地位で、実際には愛人ですが、公爵位を受け、ポンパドール公爵夫人として、宮廷内に住んでいました。
ルイ15世が政治に関心が薄かったので、かわりに、いろいろな策をめぐらせたため、「影の実力者」とも言われました。

ポンパドール夫人へのスタンスという曲からは勝手気儘さは感じられず、光るセンスと気高さに満ちた趣きがあるといいます。
儚く去りゆくものの美しさとでも言おうか。

また、公妾の役目として、サロンを開き、文化芸術の振興に寄与することで、フランス国王のイメージ・アップもになっていました。

セヴラックが題材にしたのは、この部分で、スタンスとは、詩の一行の事。
当時の、鍵盤楽器用音楽で、多用された装飾音をふんだんに使って作曲し、それを、遠慮深く「スタンス」と、名付けたのでした。

ポンパドゥール夫人は美貌ばかりでなく学芸的な才能に恵まれ、サロンを開いてヴォルテールやディドロなどの啓蒙思想家と親交を結びました。

また芸術の熱心な愛好家、パトロンでもあり、様々な芸術家とも交流しました。
ポンパドール夫人の時代はフランスを中心に優雅なロココ様式の発達した時代になりました。

 

国王の代わりに芸術文化振興の才能を発揮したポンパドール夫人。
それはそれで、幸せな人生を送ったともいえます。
女性が活躍できる場としての宮殿だったと思います。

ポンパドール夫人 どんな人?

ポンパドール夫人のまた違った功績をご紹介します。

ルイ15世が納めていた頃のヴェルサイユ宮殿は芳香宮と呼ばれていました。
香水、芳香蒸留水、軟膏、パウダー類は、手袋、衣装、下着、リネン類、かつらなどに、また清拭として身だしなみのすべてに使われていました。
水の供給が行き届かない、ペストや疫病は肌から感染すると考えられ、キリスト教では公衆浴場が禁止されました。
そのため、薬理作用ももつ植物から作られた芳香化粧品類は体臭のマスキングのほか、衛生面に浸透していきました。

当時は、男性と女性の香りの区別はなく、ルイ15世とポンパドール夫人は同じ香水をシェアしたり、贈り合って楽しんだといいます。
特に、ローズ、ライラック、ジャスミン、ガーデニア、ネロリ、スミレ、カーネーションを好み、樹脂や動物性香料のアンバーグリスやムスクを少し、加えたり、レモンやベルガモット等の柑橘類もお決まりでした。

ポンパドール夫人の時代から革命までは、砂糖やコニャック地方で作られるブランデー、フランス産の塩を使ったモイストポプリが当時は流行しました。

ポンパドール夫人の功績であるセーブル磁器の中にはポプリ壺がありました。
ポプリとは、語源はごった煮、芳香植物の草花、果実、スパイス、樹脂、香料などを陶磁器の壺にいれ、客間などで香りを楽しんでいました。
磁器は、その美しさはもちろん、香料を含む内容物を変化させない材料が珍重され、その後も発展を遂げました。

豪奢なポプリ壺は、花瓶型やゴブレット型、コフレ型などバリエーション豊かにマントルピースの上、サイドテーブルの上を飾りました。
絹の布に包んで、クローゼットや引き出しに入れたポプリが防虫剤としても役立っていました。

 

ポンパドール夫人の時代のポプリレシピを学び、それを元にしたポンパドール夫人が愛したポプリ作りをいうワークショップを開催しています。
フレッシュハーブ、乾燥したハーブ、樹脂、精油、芳香蒸留水、チンキ剤、精油を含ませた砂糖や塩、ブランデーなどを混ぜ合わせます。
約3週間寝かせたあとに香りをかぐと、複雑に組みあわせた植物の香りがなんともいえない芳香を放つのです。
それは、ポンパドール夫人の時代にタイムスリップしたようです。
立場を利用して、産業や文化を発展させた手腕は素晴らしいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました