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フランスの作家には、名言を残した人が多いです。
しかも、本人に死後に評価される人もいます。
名言とは、人生を歩むうえで、節目ごとに、エールになることもあります。
今回は、亡くなった後に、マルセル・プルースト(1871-1922)に評価されたギュスターブ・フローベルをご紹介します。
ギュスターブ・フロベールの文体の斬新さやその革新性が重要な価値だとされたのです。

ギュスターブ・フローベル名言

<人生の意味>
・人生は絶えず学ぶべきものである。話すことから死ぬことまで、すべてを学ばなければならない。才能は長い努力の賜物である・・・
・成功は結果であって、目的ではない。
・人生で最も輝かしい時は、いわゆる栄光の時でなく、むしろ落胆や絶望の中で人生への挑戦と未来への完遂の展望がわき上がるのを感じたときだ。
・記憶は美しいものであり、それはほとんど望みを失うことだ。

<人生にとって大事なこと>
・旅は人間を謙虚にします。世の中で人間の占める立場がいかにささやかなものであるかを、つくづく悟らされるからです。
・君の生涯の最も輝かしい日は、いわゆる成功の日ではなく、悲嘆と絶望の中から、生への挑戦の気持ちと、今に見ろ、やってみせるぞ、という気持ちとが湧き上がるのを感じる日である。
・書くことは美味しいものであり、自分自身ではなく、自分の創造した全宇宙で動くことだ。

<教訓にしたいこと>
・すべての根本は虚栄だ。われわれが良心と称するものすら、結局は虚栄の隠れた萌芽にすぎない。
・メランコリーは悲しむことの幸せだ。
・我々は年をとるにつれて、自分の能力の限界を知る。

ギュスターブ・フローベル

生まれと家族
1821年12月12日、ルーアンに生まれる。(ルーアンはフランスの北部)
医師である父アシル=クレオファス
母はカロリーヌ(旧姓フルリオ)
父の後を継いで医師となったのは、長兄アシル。
ギュスターブ・フローベルより3年後に生まれたのが、妹カロリーヌ。

生い立ち
1832年にルーアン中等学校に入学。
中学校時代に作家仲間となるルイ・ブイエと出会い親友となる。
15歳の時に最初の作品を執筆。
1838年、「狂人日記」執筆。
1839年12月に放校となる。
1840年にバカロレア取得。

1841年秋よりパリ大学で法律を学ぶ。
1842年、「十一月」執筆。
1844年に学業を放棄
故郷ルーアンに近い町クロワッセに移り住む

1843-45年に『感情教育』初稿を執筆。
その年の後に、父親と妹を亡くす。
1848年、ルイ・ブイエと共に二月革命を経験。
1849年『聖アントワーヌの誘惑』を執筆。
1851年、オリエント旅行に出かけて帰国後に『ボヴァリー夫人』執筆開始。

5年後に『ボヴァリー夫人 地方風俗』完成。
ところが、この作品が人妻の不倫を題材したという理由により風俗壊乱の容疑で訴えられる。
裁判では無罪を勝ち取った。
この裁判も含め、大いに評判を呼び、ギュスターブ・フローベルの名が知られることとなった。
作者の名を世に知らしめた。

1858年にチュニジア、アルジェリアに旅行。
1862年11月、古代世界を舞台とした壮大な絵巻『サラムボー』を刊行。
この作品はロマン主義的な作品であり、ギュスターブ・フローベルが持っている多様性・豊穣性を示している。

1869年に『感情教育 ある青年の物語』を発表。
1870年、普仏戦争が勃発した際には、母と共にルーアンに避難。
1874年『聖アントワーヌの誘惑』第3稿として刊行するが、中世を舞台とした幻想的かつ哲学的な作品であり、のちに象徴主義を標榜する文学者や芸術家たちを魅了する。

1877年、短編集『三つの物語』を発表。
1880年『心の城』を発表。

 

ギュスターブ・フローベル書籍

全集がでているほど、作品が多く執筆されています。

『ギュスタブ・フローベル全集 10巻』
『ボヴァリー夫人』
『サランボー』
『感情教育』上・下
『聖アントワーヌの誘惑』
『ブヴァールとペキュシェ』
『純な心』
『往復書簡サンド=フローベル』
『聖ジュリアン伝』
『エロディア(ヘロディアス)』
『三つの物語』

 

ギュスターブ・フローベル代表作

ギュスタブ・フローベルの代表作と言えば、ボヴァリー夫人と言えます。

あらすじ
田舎医者ボヴァリーの美しい妻エマが、凡庸な夫との単調な生活に死ぬほど退屈し、生れつきの恋を恋する空想癖から、情熱にかられて虚栄と不倫を重ね、ついに身を滅ぼすにいたる悲劇。
厳正な客観描写をもって分析表現し、リアリズム文学の旗印となった名作である。

 

ボヴァリー夫人は虚栄をと不倫を重ねて身を滅ぼしました。
ぜいたくな暮らしをするあまり借金を抱え込むこと。
ボヴァリー症候群と言われています。

ギュスターブ・フロベールはこの小説でバルザックやスタンダールが始めた現実主義小説の手法をさらに徹底させました。
文学に関して高い理想を抱き、文体や構成について徹底的に考え抜くことによって、散文小説を無類の芸術作品の域にまで高めてみせました

 

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