テレビドラマの効果音楽として耳に残る曲はありませんか。
耳に残るというよりも心に残る曲という方があっているかもしれません。
それが、フランスの作曲家エリック・サティの曲です。
テレビでも流れてきた曲は、熱海の捜査官や相棒などで使われていました。
それが、グノシエンヌ第一番です。
エリック・サティ
エリック・サティ(1866-1925)は、20世紀のフランスの作曲家です。
生れは、1866年ノルマンディー地方の港町オンフルール。
1870年にはサティの父が海運業を辞め、一家でパリに移住しました。
エリック・サティ―が誕生する以前のフランスを振り返ってみます。
1789年に起きたフランス革命は「フランス人権宣言」を出し、共和制へと突き進んでいきます。恐怖政治が登場するなど社会の混乱が収まらず、フランスがまとまるにはナポレオン・ボナパルトの圧倒的なカリスマと軍事力が必要でした。
ナポレオンは1799年フランス統領となり、1804年にはフランス皇帝となり、フランス第一帝政が敷かれます。
市民が政治を行うための共和制を作ったはずが、完全独裁制の帝国が出来上がっていました。
その後、何度もクーデターが繰り返され、帝政と共和制を繰り返します。
1852年から1870年までは第二帝政時代とよばれるナポレオン3世の統治時代となります。
このような社会の混乱と、市民たちの自由を求める力、そして様々にぶつかり合う思想はエリック・サティの大きな要素となります。
1870年にパリに移り、1879年サティが13歳のときにパリ音楽院に入学します。
パリ音楽院は1669年の王立音楽アカデミーを起源とする、当時から伝統のある学校で「コンセルヴァトワール・ド・パリ」とも呼ばれます。
「コンセルヴァトワール」は「保存する」という言葉が語源で、伝統を継承する機関という意味です。
しかし、サティにとって、伝統的な音楽を学ぶのは少々退屈だったようです。パリ音楽院ではあまり真面目に勉強せず、読書にふけったり、教会音楽の研究などをして過ごしていました。
そして1887年にパリ音楽院を中退しました。
その後サティはパリの文化人たちとの交際を続けていきます。それは音楽家だけに限らず、画家、小説家、詩人、哲学者、脚本家、映画監督など、多くの分野の人たちと交流し、またサティ自身も絵や詩を書き、思想を言葉にしていきました。
エリック・サティは幼少期から音楽の才能を見せていたといわれています。
1879年 13歳でパリ音楽院に入学。
残念ながら、保守的なアカデミズムとは反りが合わなかったようです。
才能がないと評価されたことも。
反アカデミズム・反ロマン主義を貫いて退学しました。
1886年には志願して軍隊に入隊。
ところが、砲兵隊に入隊した後に気管支炎にかかり除隊。
その後はモンマルトルに移りカフェでピアノを弾いて生計をたてていました。
この間、サティは読書に没頭し、アンデルセン童話を愛読し、ゴシック建築を研究してピアノ曲
「4つのオジーブ(尖弓形)」を作曲した。
エリック・サティは1888年には調号と小節線を廃止したピアノ曲「3つのジムノペディ」を作曲。
ドビュッシーやラヴェルに大きな影響を与えたと言われています。
エリック・サティは1905年から作曲法を学び直すためにスコラ・カントルムでダンディに師事。
この期間は3年になりました。
当時からピアノ曲を作曲していました。
それが、「犬のためのぶよぶよした本当の前奏曲」「乾からびた胎児」「スポーツと気晴らし」
さらに、1916年にはジャン・コクトーの台本で、ピカソの装置と衣装によるバレエ音楽「パラード」も作曲したのです。
バレエ音楽「パラード」はたいへん才能あふれる素材で満たされていました。
オーケストラにはサイレン・飛行機の爆音・タイプライター・ピストル・ダイナモの音などが入っていたからです。
装置と衣装を担当したピカソのデザインは奇抜なものでした。
1917年パリ・シャトレ座における初演は大評判となったのです。
50代となったエリック・サティ―は、若き作曲家に影響を与えました。
その若き作曲家とは、ミヨー、オネゲル、オーリック、プーランク、デュレ、タイユフェール6人組はエリック・サティ―とコクトーを賛美していました。
6人組は常に新しい音楽を提案するグループだったのです。
エリック・サティはしばしば奇妙な行動を取っては周囲を驚かせていました。
例えば、同じ服を何着も持っていたりしました。
毎日同じ時間に食事をとる独自のルーティンがありました。
言葉には機知とユーモアが溢れていたのです。
「私は音楽家である。私の音楽は、私のように単純だ」と発言したり。
このほか、「音楽界の異端児」「音楽界の変わり者」と呼ばれていたエリック・サティ。
グノシエンヌ
グノシエンヌは1番から3番までとなり、1881年、1891年、1897年に作曲されました。
エリック・サティのグノシエンヌ1番から3番は「3つのグノシエンヌ」といわれ、彼の最も有名なピアノ作品の一部であり、彼の革新的な作曲スタイルを代表するものとなっています。
サティはしばしば伝統的な楽譜の枠組みから外れ、自身の独自な指示やタイトルを使用していました。
その結果、彼の音楽はしばしば神秘的で、リスナーに異なる感覚や気持ちをもたらします。
このグノシエンヌも例外ではありません。
グノシエンヌというタイトルは、ギリシャ語の「gnosis」(知識)から派生しており、エソテリックな知識やスピリチュアルな秘密を意味していることが示唆されています。
エリック・サティがこの言葉を選んだ具体的な理由や背景はわかりませんが。、彼の音楽にはしばしば非伝統的な、あるいは秘密めいた要素が含まれています。
音楽的に、グノシエンヌは繊細で静謐な雰囲気を持っており、独特のリズムやメロディが特徴的です。
これらの作品は、トラディショナルな調性や形式にしばられていないことから20世紀には多くの作曲家に影響を与えました。
グノシエンヌ第1番
グノシエンヌは3つのピアノ曲から成り立っています。
グノシエンヌ第1番は1890年に作曲されました。
拍子記号も小節線もなく、音楽と時間に対するエリック・サティの自由な思考がうかがえます。
「思考の隅で…あなた自身を頼りに…舌にのせて」などと書き込まれているそうです。
エリック・サティが作曲したグノシエンヌ第1番。
初めて聴いた感想がこのピアノ曲をよく表現している思います。初めて聴いたのは、テレビかな。多分『世にも奇妙な物語』だと思うんだよなあ…
この曲を初めて聴いた時、悲しい、こわい、って思った。タイトルも何も解んなくて、どこかで巡り会えたらなと思ってた。どこでどういうタイミングで知ったかって、多分ジムノペディの方だと思うんだよな。そこでジムノペディというタイトルを知って、この作曲者がエリック・サティって名前だって知って、TSUTAYA行ってCDを借りて。聴いて。
聴いてったら、グノシエンヌも入ってて、これじゃん!ってなったんだよ。出会えた!っていうね。すぐ楽譜を買った。
紫子 文系好きな理系女子です。2026年のテーマは可惜身命。 生きる。noteより抜粋
グノシエンヌ楽譜
この楽譜をweb上でみたことがあります。
一般的な楽譜の常識である小節の線がないのです。
紫子さんのnoteにも書いてあります。
楽譜を見た時、びっくりした。何これ。え、自由な発想で弾くの?いいの?ってなりながら弾いてみたのを覚えてる。
小節の線が。ない。拍子もない。指示の言葉自体が自由な感じだから、弾き手によってガラッと変わるのかもしれない。
音符だけ見てれば、ピアノを習ってなくてもすぐ弾けるし、暗譜も簡単な曲だ。でも、何だろう…この曲を弾く時って特に背筋が伸びるというか。いや、誰も聴いてないんだよ?たった1人音楽室にこもって弾くんだよ?だけど、怖い感じを出したくなるんだよ私は。誰か愛してくれ!って楽譜が言ってる気がするんだよ勝手に。ホント勝手に。
他の人はどう感じるんだろう。旦那に逃げられた、とか、感情が消え失せた、とか、色んなシチュエーションが頭に浮かぶのかな、それとも、無になるのかな、それともサティになりきるのかな。
これって弾く時の心情によるよね。面白いよねピアノって。私はこの曲の、装飾符が好きで。これがうまく馴染んだ時は、より悲しい音に聞こえます。
グノシエンヌ第一番は聴いたことがあると思います。
一度聴いたら、忘れない曲調です。
不安を掻き立てるようでいて、どこか懐かしさも感じます。
エリック・サティが生まれる前にフランス革命がおこりました。
時代の機運は自由を求めていたはずですが、まだまだナポレオンが統治をしていた時期は以前のような雰囲気になっていたのです。
古いものにとらわれない、伝統や威厳を打ち壊したい衝動をフランスの人々は感じていたかもしれません。
その時代の雰囲気を、音楽で表現できているのがグノシエンヌ第一番と言えるかもしれません。

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