ポンパドール夫人と聞いて何が思い浮かびますか。
パン屋さんとかフランスパンでしょうか。
歴史を振り返ると、フランスのルイ15世のお妾さんがポンパドール夫人です。
ルイ15世はルイ16世(マリー・アントワネットと結婚)の祖父に当たりますが、たくさんのお妾さんがいたことでも知られています。
その一人のポンパドール夫人は絵画をみると、とても気品のある美しい女性です。
ポンパドール夫人とは
1721年パリの2区に住む銀行家の娘として生まれました。
平民ですが、ブルジョワ階級生まれです。
貴族の子女以上の教育を受け、成績は非常に優秀だったと言われています。
1741年、20歳で徴税請負人と結婚をして、当時発展していた一流のサロンに出入りするようになり、一流の文化人たちと交流をしました。
1744年にルイ15世の目に止まり、ポンパドール侯爵夫人の称号を与えられ、夫と別居をして翌1745年に正式な公妾として認められました。
公式の愛妾となり湯水のようにお金を使い、あちこちに邸宅を立てさせました。
やがて、政治に関心が持てなかったルイ15世に代わって権勢を振るようになりました。
ポンパドール夫人は美貌だけではなく、学芸的な才能に恵まれたため、サロンを開き啓蒙思想家と親交を結びました。
また、芸術の熱心な愛好家だったので、様々な芸術家とも交流しました。
ポンパドール夫人は病弱だったので、30歳を越えた頃から、ルイ15世と寝室を共にすることはなくなったそうです。
ポンパドール夫人は結核により亡くなるまで、ルイ15世は寵愛を受け続けました。
ポンパドール夫人 高級ワインロマネコンティ
銀行家の娘という平民の出(ブルジョワ階級)ながら、美貌と才能でフランス国王の愛妾となった
ポンパドール夫人。
政治に関心の薄いルイ15世に代わって権勢を振るうようになりました。
その持てる能力を如何なく発揮した女性です。
一方、コンティ公爵(ルイ・フランソワ1世)は優秀な将軍で、ルイ15世から絶大なる信頼を得ていました。
コンティ公の名称は、フランス北部に位置するコンティという村に由来します。
コンティ公爵家はフランス王国の貴族であり、ブルボン=コンデ家の分家です。
コンティ公爵は、フランス王家における重要な地位を占めていました。
そして、ポンパドール夫人とコンティ侯爵は畑の取得をめぐって争いを始めました。
ポンパドゥール夫人は、外国からやって来る大使に対して彼女本人と謁見することを義務付けました。
王妃ではなく、妾(めかけ)であるにもかかわらず。
さらに、謁見の場から椅子を全て取り払ったといいます。
「私と会う時は立っていなさい」ということです。
普段から彼女の傍若無人ぶりを快く思っていなかったコンティ公爵は、彼女のところに招かれた時、部屋の中央にある彼女のベッドに腰掛けて「素敵な椅子をお持ちだ」と言ったようです。
この日を境に二人は完全に決裂してしまいました。
この後、コンティ公爵はポーランド王に推挙され、ルイ15世も最初は彼を後押ししたと言われます。
力を持ったポンパドール夫人が四方八方手を尽くし、この話を潰してしまいます。
ちょうどこの頃、当時としても最高の畑として名声を博していた「サン・ヴィヴァン修道院」所有の区画ロマネ(現ロマネ・コンティ)が売りに出されます。
(ちなみに、リシュブールやラ・ターシュは「シトー修道院」の所有)
ワインを愛していたポンパドール夫人は、自分の力を誇示する為にもこの最高といわれていたブドウ畑を手に入れようとしました。
しかし、コンティ公爵が黙ってはいませんでした。
この話を聞きつけたコンティ公爵はすぐさま大金を用意し、このぶどう畑を購入してしまいます。そして、購入した瞬間に、畑の名前をロマネ・コンティとしたのです。
ロマネ・コンティが誕生した瞬間です。
ポンパドール夫人の失望感は並々ならぬもので、以降、ベルサイユ宮殿から全てのブルゴーニュワインを閉め出したと伝えられているほどです。
ちょうどその時、ボルドーに左遷されていたリシュリュー男爵が事の顛末を知り、彼自身も起死回生を狙いラフィットをポンパドール夫人に勧めました。
ルイ15世がラフィットを大絶賛、王室御用達のワインとしてヴェルサイユ宮殿の晩餐会で振る舞われるようになりました。
この件で、リシュリュー男爵は汚名挽回し、ポンパドール夫人もより評価を高めたそうです。
主役のロマネ・コンティはというと、コンティ公爵が自分の宮殿に来た王族・貴族、芸術家たちにのみ振舞いました。
それが素晴らしいワインだったため、噂が噂を呼び、希少性も相まってロマネ・コンティの名声がさらに広がっていったということです。
ここからロマネ・コンティの伝説が始まりました。
ポンパドール夫人シャンパン
ポンパドール夫人が愛飲したのがシャンパーニュ最大のメゾン「モエ・エ・シャンドン」のシャンパンなのです。
フランス宮廷文化が最高に輝いていた頃にルイ15世の愛妾として宮廷内に影響を与えていたポンパドール夫人。
彼女はシャンパンを「わたしはお酒に弱いんだけどこれに限っては飲んでもひどくなる心配がないの」と言ったともいわれています。
ポンパドール夫人は、モエ・エ・ シャンドンの最初の親善大使です。
1750年前後 のようですが、18世紀にポンパドール夫人、 今をときめく王の愛妾をキャンペーンガールに したシャンパンとそのメゾン。
モエ・エ・シャンドン社、創業1743年、 265年の歴史を持つシャンパーニュ地方最大の メゾンですから、
名声を支える だけの品質もつねにともなっていた、ということ です。金色の泡とともに味わう3種類のブドウの 完璧なバランス。
華やかに立ちのぼる花の香り。
ブドウ栽培北限の地にあるシャンパーニュ地方は、昔から年ごとの作柄の差が大きな地域でした。あまりに味の差があると、そのブランドを信じて買った消費者をがっかりさせてしまうことにもなりかねません。
そこで保存しておいた昨年やそれ以前のワインをブレンドして、味の安定性や複雑味を出す技術が生まれました。
それを開発したのがかの有名な「ドン・ペリニヨン」修道士です。
「ヴィンテージがない」のではなく「ヴィンテージブレンド」なのです。
シャンパンのやや特殊なところは、白ワインと赤ワインのブレンドでロゼワインをつくるのが許可されていることです。
白のシャンパンとしてつくっていたものを、仕上げに赤ワインを加えてロゼワインにする。
変化する需要に対応すべく、そのような手法も許可されているのです。
対してヴィンテージ表記のあるシャンパンを「ミレジメ・シャンパン」や単に「ミレジメ」と呼びます。
シャンパンの種類ですが、ブルゴーニュのコート・ドールでは、数ヘクタールの小さな畑も多くとんでもない価格でワインが取引されるグラン・クリュ。
しかしシャンパーニュでは少し意味合いが違います。
それゆえシャンパーニュのグラン・クリュは、比較的手ごろなものがたくさん見つかります。
「ポル・ロジェ」のスタンダードクラスなどはその典型例。味わいに突出したところのない、嫌われにくい風味が持ち味です。
ロマネコンティにもシャンパンにもポンパドール夫人が関わっていたという歴史にびっくりします。
ポンパドール夫人の手腕は、権勢をふるいながらも、宮廷で提供するワインを決めるなど、今の歴史にまで関連しているからすごいと思います。
当時のインフルエンサー的な役割を果たしていた女性ともいえます。

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